サジーとモンゴルの勇者チンギス・ハンの関係は?
モンゴルの勇者チンギスハン。
ジンギスカンと学校で習った人もいるかもしれません。
ゲームが好きな方なら「モンスト」での蒼き狼 チンギス・ハン(獣神化)のほうが馴染みがあるかもしれません。
モンゴル系部族を統合してモンゴル高原とその周辺を征服し、1206年にモンゴル帝国を樹立した。さらに、中央アジアに進出してモンゴル大帝国の基礎をつくり、1227年に死去。
と言われても、歴史や戦争に興味のあるおじさま達以外にはあまりピンとこないかもしれません。
サジーのことを調べたり、探したりする人は「美容」や「健康」に興味がある女性がほとんど。
モンゴル人といえばお相撲さん?って言うのがイメージですが、いかついこの「ザ・男」という風貌の人が「サジーを食べていた」というのです。
もしかしてモンゴルの人たちがお肌がすべすべなのは「かくれ美容マニア」なのかも??
チンギス・ハンがサジー を食べるようになったのは?
チンギスハンの部隊は長きにわたり遠征を続けていました。
最終的に「史上最大の領土を持つモンゴル帝国」を気付き上げた彼の人生は激しい戦いの歴史でした。
しかし、長引く戦いで、兵士はもとより多くの馬が足を痛め、部隊と共に行軍することが難しくなりました。
「この山を越さなければ、生きて帰れない」
チンギス・ハンの舞台は傷ついた馬を泣く泣くその場に置いて、いつか必ず再会できることを祈りながら移動しました。
季節は冬。
あたりの木々は枯れていく中、部隊から退いた馬たちは「サジーの木が生い茂る林」を見つけ暮らし、「サジーの実」を食べて冬を越しました。
春になり、馬達のことが忘れらなかったチンギス・ハンは、馬を置いてきた場所へと旅立ちます。
馬を見たチンギスハンは驚きました。疲れ切ってボロボロだった馬たちが、足を痛め痛々しい姿だった馬たちは
- きらきらと輝く美しい毛並み
- たくましいからだ
を持った馬になっていました。
元気になった馬たちとの再会を喜んだチンギスハンは、馬達の食べているサジー果実に注目します。
「この小さなオレンジ色の果実には、何か特別なパワーがある」
そう感じたチンギス・ハンは、自らもサジーを食べるようになったということです。
遠征には「部隊の健康管理」がとても重要です。
以降サジー果実は部隊の必需品となったと言われています。
サジー の学術名は「馬をキラキラさせる」という意味
サジーの学術名は(ヒッポファエ・ラムノイデス)といいます。
「ヒッポファエ」は輝く馬という意味を持ち、海外ではその名を使ったサプリや化粧品も多数あり、地域によってはサジーよりも馴染みのある名前です。
このチンギス・ハンのお話からその名がついたのか?
それとも偶然か?
私たちは「馬」ではないですが、艶々の髪の毛や、ハリのある肌、美しい筋肉が手に入るのなら・・・。
サジーにもっと興味が湧いてきますね。
DNA鑑定から予想すると、チンギスハンは「世界一の子だくさん」
もうひとつ、これは余談なのですが、
チンギス・ハンは世界で一番大きな国を作りましたが、実は「子孫の数も世界一」なのではないか?と言われています。
確かに時代が時代だけに、戦の遠征先でたくさん子供を作ったのは想像できます。
でもその数「1600万人」ってのは流石に驚きます。
誰もが誰かの子孫ではあるのだけど。
子供を作り、産み、育てるのは今のように簡単ではなかったと考えると、やはりチンギス・ハンの周りには「栄養に溢れたサジー」が常にあったのでは?
なんて想像してしまいます。
サジーが「生命力の果実」と呼ばれる理由は、こんなエピソードも関係しているかも??